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source_url: https://www.thespacereview.com/article/4951/1
source_title: "The top secret URSALA, RAQUEL, and FARRAH satellites from the 1970s to the 21st century"
tags: signals-intelligence,space-reconnaissance,cold-war,military-satellites,declassification
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# 1970年代から2000年代の極秘衛星URSALA、RAQUEL、FARRAHが最近解禁

1963年から1984年にかけて米空軍とNROが打ち上げた小型信号諜報衛星群が最近2ヶ月の間に大幅に解禁された。URSALA、RAQUEL、FARRAHなどの衛星は大型偵察衛星からの分離型ペイロードとして機能し、40年以上にわたる秘密プログラムの一部であった。

![極秘衛星プログラムのイメージ](https://www.thespacereview.com/archive/4951a.jpg)

1963年、米空軍は初めて「ヒッチハイカー」型の小型衛星を大型衛星から分離して打ち上げた。この秘密プログラムは1971年から1986年にかけてカリフォルニアから打ち上げられた20機のHEXAGON衛星の側面に搭載されることで継続された。このうち1機が失敗したほかはすべて成功している。これらの小型衛星は大型スーツケース程度の大きさで多数のアンテナを装備し、軌道上で高速回転しながらレーダーおよび電子信号（ELINT）を収集していた。

## URSALA衛星の展開と進化

1972年と1973年に打ち上げられたURSALA I・IIは、1970年代にHEXAGON衛星から軌道上に分離された4機のURSALA衛星の最初の2機である。これらは約509キロメートルの円形軌道に配置され、主にソビエト連邦内のパルス状電波発信体を検出するよう設計された。周波数範囲は2～12ギガヘルツで、表面艦艇の探知と地理的位置特定の能力も備えていた。

URSALA I・IIの重量は178キロで、当初9ヶ月の設計寿命が予定されていた。しかしURSALA Iは実際には70ヶ月間、URSALA IIは61ヶ月間軌道上に留まった。1973年の中東戦争では、当初は国家情報機関の要求を満たしていた衛星データが、運用支援のために使用されるようになった。この成功により、衛星上での高速データ処理と移動式地上ターミナルの技術開発が促進されることになった。

1976年と1979年に打ち上げられたURSALA III・IVは、前任機より大幅に重く259キロであり、設計寿命は18ヶ月であった。URSALA IIIは実際には133ヶ月間運用され、URSALA IVは35ヶ月間軌道上に在った。

![軌道上の衛星プログラムの概要](https://www.thespacereview.com/archive/4951h.jpg)

## RAQUEL衛星とフォークランド紛争での活用

RAQUEL衛星はURSALA設計と類似していながら、異なる周波数帯域での捜索を目的としていた。RAQUEL 1は1974年10月にHEXAGON衛星から打ち上げられ、RAQUEL 1Aは1978年3月に打ち上げられた。RAQUEL 1は設計寿命18ヶ月の予定であったが実際には63ヶ月間、1980年初頭まで運用された。RAQUEL 1Aは1976年の価格で1360万ドルの費用がかかり、周波数範囲4～18ギガヘルツで未知の信号を捜索・識別する技術情報受信機を備えていた。

1982年のフォークランド戦争中、RAQUEL 1Aは極南緯度への監視範囲拡大のため姿勢を変更された。この機動は1982年4月24～27日に実施され、日中カバレッジが1日2～4回得られるようになった。アルゼンチン軽巡洋艦ARA General Belgranoは5月1日にロイヤルネイビーの原子力潜水艦により撃沈されており、これはRAQUEL 1Aが紛争監視を開始した数日後のことであった。RAQUEL 1Aは1987年3月にケアテイカー状態に移行され、その後複数回出入りされた。1990年9月には砂漠の盾/砂漠の嵐作戦を支援するため運用再開の準備が進められ、1992年2月に軌道上で14年間の運用を終えて大気圏に再突入した。

## FARRAH衛星による機能統合

1976年、NROは捜索・電子作戦情報機能と技術情報機能を1機の衛星に統合することを決定し、当初SAT 1と呼ばれていた。ロッキード・ミサイルズ・スペース・カンパニーによるSAT 1研究は1977年に資金提供され、1978年に建造が開始された。その後FARRAH衛星へ改名された。

FARRAH I・IIは1982年と1984年にそれぞれ打ち上げられた。これらはほぼ同一の衛星で、709キロメートル軌道（赤道傾斜角96度）に配置され、各々340キロの重量を有していた。周波数範囲は2～18ギガヘルツで、ソビエト、中国および他の指定目標領域の一般捜索、作戦ELINT、および技術情報要求に対応するよう設計された。設計寿命は36ヶ月であったが、実際にはこれを大幅に上回る運用期間を実現した。

CDC 469汎用デジタルコンピュータを搭載することにより、リアルタイムデインターリーブおよび遠隔戦術支援ベンとへの直接出力が可能になった。1991年初頭には両衛星が最後のテープレコーダーを失ったものの、その後は転送収集のみに限定されながらも2000年代初頭まで運用された。FARRAH Iは打ち上げから22年後の2004年11月3日に運用を終了し、FARRAH IIは打ち上げから20年後の2004年10月6日に停止された。両衛星は回収不可能な状態に置かれ、軌道上に50年以上留まることが予想されている。

## 戦術支援体制の構築

URSALA、RAQUEL、FARRAHの成功は、国家情報機関のみならず世界中の戦術部隊への直接アクセス体制の構築を促した。1970年代中盤までに陸軍と空軍の戦術ユーザーが電子情報データの直接アクセスに関心を示すようになり、RTIP（Radar Tactical Information Processor）プログラムが資金提供された。1977年の時点でRTIPは2台のバンで構成されていた。その後1979年にはNRO西海岸事務所と米陸軍が戦術ELINT処理（ITEP）バンを開発し初期配備を実施した。

ITEP/TEP（戦術ELINT処理）はURSALA、RAQUEL、FARRAHいずれの衛星とも連携が可能であった。陸軍はこれを電子処理・情報配信システム（EPDS）と改称し、1990年までにEPDSバンは世界中に広く配置されるようになった。この変化は戦略的情報収集から世界中の戦術部隊への直接支援データ提供へと向かう重大な転換を表していた。

![FARRAH衛星による監視体制](https://www.thespacereview.com/archive/4951k.jpg)

*この記事は元記事の事実のみに基づいて自動生成されました。*

## 出典

**The Space Review** 「The top secret URSALA, RAQUEL, and FARRAH satellites from the 1970s to the 21st century」 https://www.thespacereview.com/article/4951/1 (National SIGINT Requirements List (NSRL) の報道による)
